人を叱るのは難しい ゆとりと昭和と令和時代
人のきつい言動を変えること
人へのもの言いがきつい人がいる。
特に高年齢者はいわゆる"昭和的荒さ"が目に余る。
"ゆとり世代"にとってはそういった"荒さ"に触れる機会は---家庭環境次第だが---社会人になって初めて触れるという人も多い印象。
ぎりぎりゆとりな昭和生まれの私は、生まれ育った地域的にそんな人間が比較的多い地域だったように思うが、時代を下るにつれてあまり触れてこなくなってきていた。
つまりそういった"荒さ"を幼少から触れ、耐性がついた人間も増えてきたということ。
そんな時代に"マッチしない"人間も、こと田舎ではお目にかかる。
残念ながら自分の会社で、だ。
企業運営のためにはそうしたコミュニケーションは今後のためにも排除したい。というのがNo.2として思うところ。
それは人を”中から”変えることとも言える。
数字にコミットするため
”荒さ”が出てしまうのはなぜか?
それはその人の中で会社の売上を上げたいという思いからとは思う。
ありがたい話ではある。
経営者が掲げる目標売上にコミットするため、自分の配下の従業員を動かさなければならない。
感情的になるのは仕方がないことも理解は出来る
結果にコミット。
そのための手段としてそうした言動を行使してしまう。
それを理解できないほど愚かではない。
だからその修正のために叱ることが難しい。
数字を上げること+”人”を動かすこと←必要なスキル
数字を上げる。そのために人を動かす。
動かすための言葉。
言葉の使い方、つまりはスキル。
スキルなんだよなぁ。
スキルは学ばないと身に着けられない。
学ぶ場所かー。
あるいは学ばせるために私自ら語るか。
語るはイコール叱る。 タイトル回収しました。
ではまた
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