喋りのテクニックで共感を生む落語
日本の古典芸能として江戸時代から庶民に親しまれ、今日でも寄席では毎日かけられている落語。
先日とある落語会に参加し、久しぶりに生の落語に触れる機会がありました。
クローズな会で、お客はみんな経営者という中での落語会だったこともあり、枕やその後の噺家の師匠も交えた懇親会の中で、落語の持つ魅力とその中から見出したアドラー心理学との共通点、経営者こそ落語に触れ、人を引き込む話のプロに生で触れる機会を持つべき。というような内容を書きなぐっていきたい。
久しぶりに生の落語
私は生まれも育ちも東京下町。現在もよく古典落語で登場するエリアを愛する身であること。また思春期の頃のテレビドラマ「タイガー&ドラゴン」を観て落語の魅力にハマりました。
たまたま親戚がとある噺家の師匠と知り合いであったこともあり、その師匠の独演会や落語会に行くようになりました。
成人してからもサンキュータツオ氏がキュレーションする、渋谷らくごへよく行っていましたが、近年はめっきり足が遠のいておりました。
そんな中、私が所属する団体での落語会が開かれ数年ぶりに生の落語に触れたのでした。
アドラー心理学って?
嫌われる勇気が爆売れし、ドラマ化され、アドラー心理学が一般的に認知されて久しい現代。
いかにもビジネスっぽいワードを趣味の落語にむりやり引っ張ってこじつけてきた感が否めないですが、私としては落語とアドラー心理学には共通点があると感じました。
そもそもアドラー心理学とは、精神分析の祖、かのフロイトと共に人間の精神分析の研究をしてきたらしい、アルフレッド・アドラーが提唱し、後にその後継者が発展させてきた心理学の体系であり、現代の日本においても様々な書籍やそれを学ぶセミナーが年がら年中開催されています。
まぁいろいろと理論がありますけれども、私がアドラー心理学から学び、実践しようと心がけている点は数個のワード。
- 共同体感覚
- 勇気づけ
- リスペクト
私なりの意訳が多分に含まれているためアドラーの提唱する論旨と若干の齟齬があるかもしれませんが、これらはアドラー心理学の理論の中でも語られており、実社会、とりわけ企業の上司から部下への指導などのコミュニケーションでも非常に有用な考え方だと私は理解しています。
で、落語とアドラー心理学がどう結ばれるの?
アドラー心理学についての粗々な解説でしたが、本題の落語とアドラー心理学との共通点。落語を深く理解すればアドラー心理学の本質が理解できると私が考える部分です。
そもそも落語とはご案内の通りたった一人の噺家がその口から出る言葉と仕草だけで表現される世界。
せいぜい使う道具といえば手ぬぐいと扇子ぐらいのものでしょう。
つまり語りのチカラで観客の脳内に世界を表現させる話芸です。
観客の反応を理解、認知しその想像を阻害せず膨らませ、更に笑いや人情噺では泣かせるという感情を動かすことが落語の本質と言え、それが前座見習いから始まる長い修業の中で師匠から弟子へ受け継がれる芸として江戸の末期から連綿と続いてきた話芸の歴史と技。
これはアドラー心理学で述べるところの共同体感覚と同義ではないか。
そして高座へ上がるたびに得る評価。
常に他者を前にした高座で出力される己の表現により得られるそれは、良しも悪しも”勇気づけ”として噺家にフィードバックされる。
つまり「人間が変化・成長するためのエネルギー」が与えられる。
更にここまでの反復で磨き上げられた話芸が極まれれば、そこには自ずと他者からのリスペクトが添えられる。
みんな落語をやったらいい
現代の日本人はやれ自己肯定感が低い、幸福度が低いと言われがち。
コロナもあっての他者とのコミュニケーションにも課題が取り沙汰される世の中。
古典落語におけるはっつぁん、クマさんみたいな人生を外から見ること。はては自分が表現者として成れる身近な文化、アクティビティが【落語】とも言えるのではないでしょうか。
寄席は東京では4箇所。
そこでは毎日落語が掛けられています。
それ以外にも落語会などは全国各地で開かれ、ふらりと入れる会場などもあることでしょう。
ぜひ自分を高めるなにかを見つけるために、落語という文化を身近にしてみてはいかがでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿